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大阪家庭裁判所 平成2年(家)1603号 審判 1991年1月10日

申立人 中山恵子 外5名

主文

1  申立人中山恵子が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     大阪市○○区○○×丁目××番

氏名     中山恵子

出生年月日  昭和16年4月21日

父の氏名   亡中山勇

母の氏名   呂秀

父母との続柄 長女

2  申立人中山玲子が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     大阪市○○区○○×丁目××番

氏名     中山玲子

出生年月日  昭和22年7月1日

父の氏名   亡中山勇

母の氏名   呂秀

父母との続柄 三女

3  申立人中山尚子が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     大阪市○○区○○×丁目××番

氏名     中山尚子

出生年月日  昭和26年3月28日

父の氏名   亡中山勇

母の氏名   呂秀

父母との続柄 四女

4  申立人中山良美が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     大阪市○○区○○×丁目××番

氏名     中山良美

出生年月日  昭和28年11月17日

父の氏名   亡中山勇

母の氏名   呂秀

父母との続柄 五女

5  申立人中山順子が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     大阪市○○区○○×丁目××番

氏名     中山順子

出生年月日  昭和31年12月26日

父の氏名   亡中山勇

母の氏名   呂秀

父母との続柄 六女

6  申立人中山文洋が次のとおり就籍することを許可する。

本籍     大阪市○○区○○×丁目××番

氏名     中山文洋

出生年月日  昭和35年2月27日

父の氏名   亡中山勇

母の氏名   呂秀

父母との続柄 長男

理由

1  本件各記録及び当庁昭和60年(家)第××××号就籍許可申立事件記録によれば、次の事実が認められる。

(1) 亡中山勇(本籍 福岡県○○郡○○町大字○○×××番地、大正元年7月31日生)は、福岡県で生まれたが、中国(当時中華民国)に渡り、南京市で申立外呂秀(中国国籍、1919年1月23日生)と知り合い、昭和15年(1940年)2月28日同女と中国江蘇省江寧県内で結婚式を挙げ、夫婦となったものであるが、同結婚式は呂秀の友人周世里、知人、隣人王珍等多数参加してなされたものである。なお、昭和61年(1986年)7月22日中華人民共和国北京市公証所から上記両名が前記結婚式を挙げた日に結婚した旨を証明する公証書が発行されている。

(2) 呂秀は、その後、いずれも中山勇との間に、昭和16年(1941年)4月21日南京市で申立人恵子を、昭和19年(1944年)11月13日同市で申立外中山典子を、昭和22年(1947年)7月1日同市で申立人玲子を、昭和26年(1951年)3月28日北京市で申立人尚子を、昭和28年(1953年)11月17日同市で申立人良美を、昭和31年(1956年)12月26日同市で申立人順子を、昭和35年(1960年)2月27日同市で申立人文洋を、それぞれ出生している。中山勇は、それぞれの子供達に、生まれたときから日本名と中国名をつけ、外では中国名を使わせ、家の中では日本名で呼ばせていた。

(3) 中山勇は、日本における戸籍上では昭和43年2月8日未帰還者に関する戦時特別措置法により戦時死亡宣告確定となり、昭和49年7月18日失踪宣告の取消があったが、呂秀とともに中国で生活し、中国名を呂洋平と称していたが、昭和50年(1975年)9月13日北京市において死亡した。同人は、臨終の時、子供達に対し「おまえたちは日本人だ。もし私が死んだら、私の遺骨を持って日本に帰り、私の郷里に埋めてほしい」と遺言した。

(4) 申立外中山典子は、当裁判所において、昭和60年9月30日就籍許可の審判を受け、昭和62年12月4日、日本に帰国し、大阪市○○区○○×丁目××番×号-×××号で生活している。

(5) 申立人らは、いずれも日本に永住帰国を希望しているところ、父中山勇は日本において呂秀との婚姻届及び申立人らの出生届を出さず死亡しており、母呂秀は生存しておるが中国に在住しておりかつ日本において中山勇との婚姻届がないため申立人らの出生届を出すのが著しく困難である。

2  上記認定の事実によれば、中山勇と呂秀は、旧法例(明治31年法律第10号)13条1項但書に従い当時の婚姻挙行地の法律である中華民国民法982条1項の規定による方式に従い婚姻したものと認定され、その婚姻は有効に成立したものと認定することができる。従って、申立人らは両名の婚姻中に出生したものであるから、同法例17条により、その準拠法となる民法772条(但し、申立人恵子、同玲子については、旧民法(明治31年法律第9号)820条を適用)によれば、申立人らは嫡出子の推定を受け、旧国籍法(申立人恵子、同玲子については、明治32年法律第66号、その余のものについては、昭和25年法律第147号)に基づき出生によって原始的に日本国籍を取得したものというべきである。

3  以上から、申立人らは日本国籍を有しながら本籍を有せずかつ1(5)の事実を考慮すると申立人らの出生届を出すべき者がいない状況にあるといわざるをえないことになるから就籍を許可すべきである。

就籍事項について検討すると、申立人らの希望する既に就籍許可を受けて日本に居住している申立外典子の居住地を不相当とする理由はなく、氏名、生年月日、父母の氏名、父母との続柄は前記認定のとおりであるから、申立ての趣旨のとおり許可することとする。

よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 駒井雅之)

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